2019/09/10(1) HAMLET2019
声が枯れている
幕間にパンフレットを読んだところ、初日の声出しで枯らし、そこから声量を維持しているそう。
本業アイドルに支障が出るとかどうとか、そういうのを抜きに役と向き合っているようにも感じられるけれど、ニューシングルが心配ではある…
ハスキーボイスも好きですが…
そもそもわたしは風磨くんの歌声が大好きなので、今更ながら心配になってきた…
でも、わたしは強欲なので、あのハムレットボイスでソロ曲1曲歌っておいてほしいな、とも思う
ソロ曲は Sing along song みたいな感じで、ギターじゃかじゃかのアコースティック調だと嬉しい
最初のところ「血縁?は近くなったが心の距離は離れた気がする」というような訳出になっていて少し残念
原文は読んでいないのでアレですが、福田恆存の翻訳「ただの親戚でもないが、肉親あつかいはまっぴらだ」がかなり好きだったので…
とはいえ、それはもしかしたら、殻を破ったばかりのひよこが始めて見たモノを自分の母親だと認識するアレに近いのかもしれませんが
とにかくわたしはこの福田翻訳を読んで、めちゃくちゃ風磨くんだー!と思って、ママに読んで聞かせたら、めちゃくちゃ風磨くんだねー!と驚かれたことだけは忘れないようにしておきます
翻訳でいえば、あとで言及しているホレイショーの台詞の中の「多数の意見を支配するハムレット様」とかなんとかのあたりの訳出も微妙に好きじゃないな、と思いました
原文を読みたい、ですね…。
花かんむりに飾られて出てきたハムレット、どこか既視感があると思ったら、いつだったかの前半誌の風磨くんだ…
※買った記憶があるので、発掘できたら、どの前半誌の何年何月号かを追って記しておきたいですね。ヲタク的備忘録として…。
気狂いのフリをするところ、なんか見たことあるテンションだな〜とは思っていたのですが、終演後近くにいた子たちが「ところどころ風磨でウケた」って言ってて、あああのふざけ方は「菊池風磨」か、と合点がいった
なぜ気付かなかった?
たぶん、舞台上のハムレットはハムレットであって、風磨くんだという認識が一切なかったのだと思う
ハムレットの世界観に入り込みすぎて、そこにいるのが風磨くんと秋人くんだという認識が殆どなかった
舞台降りのシーンで何度も5mもないくらいすぐそこにハムレットとホレイショーが来ることがあったけれど、全く内心でも「キャー」とはならなかったし、ハムレットの空間がすぐそこまで広がってきている、ただそれだけだった
8日の夜中(9日の2:30頃)に福田翻訳のハムレットを読み終えてからずっと頭の中はハムレットで、寝ても醒めてもハムレットのことばかり考えて丸一日を過ごし、10日12:30幕が上がった(とは言え、東京グローブ座には上がる幕はない…)
特にホレイショーとハムレットの再会場面とか、「では、黒の喪服は悪魔にくれて、貂の赤い毛皮でも着るとしようか。」とか、「苦いぞ苦いぞ、ニガヨモギ!」とか、尼寺のくだりとか、、まあかなりニヤニヤしながら観れたので、直前に一気読みしておいたのは結果的には成功だったのです。が。
基本的に原作が好きなもの、原作に執着心を抱いてしまっている作品は映像化ないし具現化されるのが苦手なたちなので、まあハムレットはそもそもが劇であるけれど、それでも福田翻訳のハムレットを読んで「好き」だと思ってしまって、つまりは執着心を抱いてしまっていたので、劇場でそれを観るのが少し怖かったわけです
いくら3時間と少しかけて上演されるとはいえ、もともとは5幕のものを3幕に再構成して演るわけだし、セリフも削られるだろうし。
福田翻訳よりもわかりやすい、解釈の行き届いた翻訳が多いように感じた(とはいえわたしは福田翻訳の方が好きですが…。色々と、翻訳しすぎている感が否めなかったので。)し、何より、ホレイショーが圧巻だった
最終幕が特に良くて、友人の苦悩に手を差し伸べることも許されず、ただ見守るだけしかできない、させてもらえない、そんなホレイショーを感じられた
わたしの感じた「ハムレット」がそこにはあって、わたしの一読しただけのふんわりとした解釈と大して違わない、しかし綿密な解釈に基づいた丁寧な演出を得て、そこにハムレットが生きていた
風磨くんがハムレットでよかった
風磨くんのハムレットを観ることができてよかった
わたしのイメージしたハムレットを風磨くんがきちんと演じてくれていて、それだけで嬉しかった
あれは風磨くんの解釈は2%くらいだってパンフレットには書いてあったけど、それでもその2%が、わたしの解釈と決定的な齟齬を生まなかったことが嬉しい
第二幕(福田翻訳の第二〜三幕)終了時のハムレットの血糊に塗れた横顔がすごく怖かった
あそこでポローニアスを殺したことで彼の「父親の死」との闘いは終わったのだと思った
だからハムレットはあそこで喪服を脱いで、第三幕(福田翻訳の四〜五幕)では全身真っ白のセットアップに白のコートを羽織っていたのだと思うし、それはきっと彼の、父との決別への決意で、決心であったのだとも思う
まあ、イギリスへ取り立てに、という体で航海へ放り出されたのだから、流石に喪服を脱がないわけにはいかなかったでしょうが…
全身に乳白色を纏った風磨くんはさながら王子様で、まあ役的にデンマーク王子なので別に間違っちゃいないのですが、それでも色を抜きに抜いた金髪と肌の白さと衣装のオフホワイトが相まって、本当に、本当に、本物の王子様だった。
第二幕の第二場の荒武者ピラスのくだり、随分と短くされていたと思ったけれど、それより1回目→いや、違う→2回目の1回目と2回目でピラスにつく枕詞が違っていた記憶がある、何だったっけ?
あっそこから違うんだ… と思ったのですよね
そして、ハムレットに続いて語り続ける役者役の役者さん、めちゃくちゃ声が出ていて正直鳩尾辺りがぞわっとした…。
劇中で役者を演じなければいけないわけだから、そりゃ周りより格段に声が出なきゃいけない、そういう役だ、っていうのはわかるんだけど、声って出そうと思って出るものではないし、役者、というシビアな世界を感じるとともに「今、わたしはすごく良いものを観ることができているんだ…!」という確信に基づいた歓喜に打ち震えたんですよ、特に、この場面で。
これがプロ、なんだよなぁ… 素直に、かっこいいな…と思う…
あと、声といえば、すごかったのが秋人くんで、ハムレットが死んだあとのほんの少しのシーンのホレイショーの語りが、ハムレットの生前とはまるで違う声量だったんですよね
ハムレットに語りかける、例えば第五幕の第二場の「ハムレット様、この賭け、負けるような気がいたしますが。」のホレイショーと、同場のラストでフォーティンブラスへ毅然と語る「いえ、多数の意見を支配するハムレット様のお言葉をお伝えするだけのこと。」のホレイショー、とても同一人物とは思えなかったんですよ
だって、声も馬鹿でかければ、気迫も違うんだもの
わたし秋人くんは箱根の直線鬼のイメージしかなかったので、まあ声が出ることはわかっていたんですよ、たぶん
でもね、あそこまで鬼気迫っているの、あれ、直線鬼よりよっぽど鬼ですよ…
あそこでわたしは、改めて、秋人くんって本当に凄い役者さんなんだな、凄いな、凄いな… と謎に感動したのです
あと、第三幕の第二場の、オフィーリアの膝から頭を上げて劇中劇に口を挟むハムレットがとてもとてもとても可愛かったですね。
「苦いぞ苦いぞ、ニガヨモギ!」、可愛すぎてニヤニヤしちゃった。
あと、この場の最後の「所詮、駑馬でしかないのか、おれは。」をもう一度観たいのでもう一度観劇したい、などと…。
とりあえずここまで、パンフレットは幕間に対談を流し読みしただけの記録用。
いつか校正するかもしれません 十中八九しませんが
別エントリーで、追記はすると思います この熱に浮かされたまま暇を迎えることができれば…
2019/09/12